こんにちは、サイコセラピー研究所 研究員の音楽療法担当のDr.Chikaです。
私は音楽活動もしていますが、本業は精神科医として認知症専門の老人保健施設での診療や、認知症の音楽療法の研究を行っています。
今回は、私が研究をしている個別音楽聴取(Personalized Music Listening:PML)について、
ご紹介させていただきます。
○認知症専門老人保健施設の様子
私は普段、認知症専門の老人保健施設に勤務していますが、そこでは介護を必要とする認知症やその他の精神疾患をもつ高齢者の方々が100人近く入所されています。
そのうち半数程は、重度の認知症の方となります。
重度の認知症、とはどのようなイメージでしょうか?
認知症の代表的な症状に、日時や場所や人の認識ができなくなる「見当識障害」や、やったことをすぐにわすれる「記憶障害」といった症状があります。
こういった症状は、認知症の方に必ずみられる症状で、「中核症状」といいます。
利用者さんとの会話の例は、こんな感じです。
「○○さん、今何歳だっけ?」と聞くと、「いやぁ、わからない。40歳かな?(本当は80歳)」
「ここはどこか分かる?」と聞くと、「いやぁ、ちょっとそういうことはわからないね。。」
「私は誰か分かる?」と聞くと「よく会うけど、わからないねぇ、、」
といった感じで、会話は成り立つ事も多いのですが、置かれている状況については、認識ができていません。
あるいは、ごはんを食べ終わってすぐに、「ご飯まだですか?」
と同じ質問を繰り返す事もよくあります。
自分がご飯を食べた事を忘れてしまった上、たった今、質問をしたということ自体も、すぐに忘れています。
あるいは、怒りっぽさが加わり、「メシはまだか!!」と大声を出していることもあります。
一方で、一日中、廊下をぐるぐる歩いて回って徘徊している方々もいます。
中には靴を履いていなかったり、靴下を手に持っていたり、スボンにはさんでいたりする方もいます。
「調子はどう?」と聞くと、急に「お家にかえりたい」と泣き出してしまう人もいますし、逆に、「おい!なにやってんだ!!」と暴言を吐き続けている人もいますし、
一日中「トイレ連れて行ってくださーい!」と言う人もいます。
「ドアを開けろ!」とナースステーションの扉を蹴飛ばしている人もいたります。
あるいは、一日中ずっと椅子にすわり、無表情で、一言も発しない人もいますし、ずっと同じ言葉だけ繰り返している人もいます。
無関心・無気力になってしまい、一日中寝ている人もいますし、廊下で横になっている人もいます。
迎えが来ているからと荷物をまとめてエレベータ前に立ち続けている人もいますし、今は戦争だから大変だ、と、事実とは異なる事を妄想として思い込んでいる人もいます。
トイレットペーパーを集めて施設着のおなかのところに溜め込んでいる人もいます。
こんな日々の様子を、具体的にあげればきりがないのですが、このような認知症の方々が50人程いらっしゃるのが、
認知症専門フロアの日常の様子です。
○認知症の方の余生への思い
私は出勤して、毎朝同じように廊下を徘徊している方々に「おはようございます!」
と言って、帰りは「おやすみなさい!また明日くるね」と言って帰ります。
そうすると、「明日絶対来てね!」なんて言ってくれる人もいますし、「お疲れ様~」と、状況に合った、気遣いの言葉をかけてくれる人もいます。
逆に、今から出かけるのだと思って「行ってらっしゃい!」と見送ってくれる人もいます。あるいは、怒りっぽさの症状がある方に「もう来なくていいよ!」と言われることもあります。(笑)
こんな、認知症の方々と日々をともにしている毎日なので、語弊はあるのかもしれませんが、一人一人の認知症のおじいさん・おばあさんが、とてもかわいいし、残りの人生の時間を、できるだけ有意義に過ごして欲しい、と思うのです。
認知症の方々のこれまでの生活背景は様々です。仕事をバリバリこなしていた人もいれば、若くして精神疾患を患い療養していて、認知症も合併した、という方もいます。
「終わりよければ、全てよし」という諺がありますが、全てよし、とまではならなくても、認知症の方々に「終わりが気の毒な」人生にはなって欲しくないように思います。
○介護の負担
入所されている認知症の方の家族背景は様々です。家族が介護に疲弊しているケースも多くあります。介護抵抗や暴言がみられるのも認知症の心理的な症状ですが、ご家族の方が認知症という病気を正しく理解されないまま、認知症の方の言動に振り回されてしまっていることもよく見受けられます。介護の疲弊により、認知症の患者さんへの虐待などにつながる可能性があることも大きな問題です。
○認知症の薬物療法
認知症には抗認知症薬と言われるお薬がありますが、予防的な効果にとどまり、重度の認知症の方に投与し続ける事は、副作用や費用の面で、負担が大きい現実があります。
現在の薬物療法は、認知症の心理的な症状により、妄想・不眠・暴言等がみられる方に対して、気持ちを和らげたらり、よく眠れるようにしたりする、「対症療法」としてのお薬の使用が中心となります。
○認知症の現実
このような、認知症にまつわる問題は、大変複雑で、解決策の決め手もないのが現実です。しかも、今後、認知症の高齢者の数は急増していく事が予想されています。2025年には700万人を越えると言われ、65歳以上の5人に1人という計算です。
このような中で、介護の負担を減らし、認知症の方の症状を和らげ、余生をよりよい時間にすることができ、薬の使用による費用負担も軽減する、そんな解決策となる方法をより多くの人に、より簡単に行う事ができたら、それはひとつの決め手となりうるかもしれません。
○心理的な症状へ働きかける、行動療法・レクリエーション・芸術療法
認知症は一度なってしまうと治らず、徐々に進行していく病気であり、薬物療法は確立されていない、今後患者数が急増していき、介護への疲弊も深刻になっていく、という状況に対して、どのように対応していったらよいのか、現状を踏まえて、考えてみたいと思います。
認知症の記憶障害などの中核症状といわれる症状は、脳細胞の障害によるものです。認知症の患者さんの脳細胞は死滅・減少して、MRIなどの画像検査をすると、正常な人と比べ、脳が萎縮しています。この脳の障害は、不可逆的なもので、もとには戻りません。それが、認知症が治らない病気と言われる理由です。先程お話させていただいた、見当識障害や記憶障害などの「中核症状」といわれるものです。
しかし、認知症の方や家族が本当に苦しんでいる症状は、この治らない「中核症状」ではありません。
介護抵抗・暴言暴力・感情失禁・幻覚盲動・不眠・抑うつなどの、心理的な症状である「周辺症状」と言われる症状が、認知症の問題をやっかいなものにしている場合がほとんどです。
この心理的な「周辺症状」をコントロールするのが、現在の認知症への薬物療法ですが、心理的な症状に働きかけるもうひとつの手段として、効果があると報告されているのが、行動療法や感覚への働きかけ、具体的にはレクリエーションや芸術療法になります。
○個別音楽聴取(Personalized Music Listenning:PML)とは
芸術のひとつに、音楽があります。音楽への感受性は人それぞれですが、思い出の曲がある人はきっと多いと思います。その思い出の曲をヘッドフォンで集中して聴かせることで、認知症の症状を改善させることができると、米国で研究が進められています。
日本で現在行われている音楽療法は、集団で演奏したり、歌を歌ったり、演奏した音楽を聴いてもらったり、と集団で行うものや、生演奏を聴いてもらうものがほとんどです。集団で行う方法は、社会性を向上させるなどのメリットがあり、広く行われることが好ましいものですが、以下の問題点が挙げられます。
・あくまで集団のレクに参加することができる人を対象としており、じっと座っていられない、部屋で寝ているなどの症状のある重度の認知症の方には施行が難しい
・皆で演奏すると、選曲が限られ、個人の好みや思い出の曲にあてはまらない人もいる。
・生演奏の魅力はあるが、思い出の曲「そのもの」の音ではない
・人員や経費が限られた環境で、頻回に施行する事は難しい。(月に1,2回程度になってしまう。)
・周囲にいる人の反応に影響される
認知症専門フロアにいる患者さんたちは、集団レクをしている間も、廊下を歩いていたり、うとうとしていたり、「うるさい!」と暴言を吐いたりしている方も多くいます。その現状を踏まえて、
1.重度の認知症の方にもより確実に施行できる
2.人員や経費が限られていても、いつでもどこでも、簡単に行うことができる
3.少ない労力で頻回に行うことができる
4.症状改善の効果がある
5.認知症の方の余生の充実に貢献できる
そんな方法が必要なのではないかと考えます。
PMLは1~5の条件を満たしうるひとつの方法であると考え、私も認知症専門老人保健施設での実践・研究を始める事としました。
○個別音楽聴取(PML)の効果・ドキュメンタリー映画「Alive Inside」
PMLは米国では、この療法の先駆者であるLinda Gerdnderによってガイドラインが作成されています。
また、Dan Cohenによって設立されたMusic&MemoryというÑPO法人によって多くの施設で実施され、その効果について、「Alive Inside」というドキュメンタリー映画が作成されました。
認知症が進行し、もはや自分の思い出の曲を患者さん自身から伝える事はできない状態ですが、家族からの情報をもとに、昔好きだった曲のリストを個別に作成し、聴いていただきます。その時の患者さんの反応を見ると、「Alive Inside」というタイトルにある通り、思い出の曲にまつわる記憶が存在し、刺激されている様子が伺われます。日本でも「パーソナルソング」として公開されたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
○認知症専門老人保健施設での実践
私が勤務している認知症専門の老人保健施設でも、様々な認知症の症状をもつ方を対象に、小規模ではありますが、実践を始めました。
実際に、現在認めた効果は以下のようなものがあります。
・暴言を吐いて大声を出していた方が、歌を歌いながら廊下を歩くようになり、笑顔がみられるようになった
・日中臥床している方が、レクに参加するようになった
・日中うとうとしていた方の覚醒時間が増えた
・同じ言葉を繰り返していた方の言葉の種類が増え、状況に合った発言をした
もちろん、楽しそうに聞いていても症状には効果の見られない方もいますし、音楽を聞くことを拒否してしまう人も中にはいます。しかし、上記のような効果が見られたことも事実であり、効果が見られる方の割合も、決して少なくはないようです。
今後も施行や研究を続け、効果について具体的にお伝えして行ければと思います。
○大衆音楽文化の変化をPMLの実践に生かす
最後に大衆音楽文化の現代までの変化とからめて、こんな見解をお話させていただきたいと思います。
現在、施設に入所している認知症の高齢者の方は70代後半から80代の方がほとんどです。90代の方も数名いらっしゃいます。今、認知症の方が若い頃の、思い出の曲は、50年程前の曲で、現代とは文化も音楽的な背景も大きく違います。
この50年で、科学技術や文化の変化に伴い、音楽の背景も大きく変化をしました。ポピュラーミュージックについては、現代では非常に多様化し、共通の認識としての流行の曲や、世代の曲、というものは薄れて行っています。音楽の種類の多様化と、個々人の音楽の嗜好性の多様化、それに応じてすぐに聞きたい曲にアプローチできるインターネットなどの環境があります。音楽の媒体もレコードからCDに変わった後、現在ではCDの売り上げは低下し、音楽データを書きこんだ媒体ではなく、曲単位で音楽データを直接購入・ダウンロードするという形式が主流となっています。また、消費形態が多様化したことで、そもそも音楽に無関心という人の割合も増えたのだそうです。
今回のPMLに限った話になってしまいますが、この変化を利用できるメリットが2つあるように思います。
今の認知症患者さんが若い頃の50年ほど前は、テレビが普及し始め、メディアや情報・媒体・消費形態が現在よりも限られていた時代で、共通の認識としての流行の曲がありました。そのため、重度の認知症で思い出の曲の名前を聞き取れない方でも 、年齢から、世代の曲を推測でき、個別の曲リストを作成しやすいと言えます。今から50年後には、認知症の方の思い出の曲を手がかりなしに推測することは難しくなると思います。
[2つ目のメリット]
50年前に比べ、今は聴きたい曲の音源に容易にアプローチできます。動画を検索したり、曲単位で購入できるので、費用が抑えられます。昔は聴きたい曲を聴くために、レコードショップや図書館などに行って、レコードを買ったり借りたりしていました。現代の環境であれば外出が難しかったり、費用が限られる場合でも、PMLは行うことができます。
現在PMLを施行している方も、思い出の曲の聞き取りが行えない方が多くいます。そういった方は年齢から推測した曲のリストに基づき、曲単位でmp3データを購入・ダウンロードして、音源を用意します。実際に聞いてもらうと、口ずさみ、「なつかしい」と言ってもらえることが多いです。
○おわりに
認知症の個別音楽聴取について、ご紹介をさせていただきました。
今後も認知症についての情報や研究の成果などについて、具体的にお伝えできればと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Dr.Chika